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2006-12-27

江原さんってどうなの?

昨日の夜は「江原啓之スペシャル天国からの手紙」を見て涙腺が緩んじゃいました。ちょっと俺にも思うところがありまして・・・でも、江原さんって俺から見たら胡散臭いんですけど・・・本物なのかしら?

基本的には俺は霊の存在などは否定派です。何と言われようが居ないものは居ない、見えないものは見えない、今まで心霊スポットと呼ばれる所には何度か行った事があるけど感じた事すらありません。

子供の頃は喜んで廃墟に忍び込んだり、墓場で鬼ごっこをして墓石の上によじ登って墓から墓へと飛び移って走り回ってたっけ・・・ええ、今思うと恐ろしいです((;゚Д゚)

そんな俺が今興味があるのが佐賀県は唐津市辺り?にある「岸岳末孫」です。噂によると福岡の「犬鳴峠」よりも恐ろしい所らしいですね。普通に強力な祟りがあるそうで・・・行ってみたいとは思わないけど、実際の所はどうなんでしょうね?

Yahoo!で検索してみたら

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豊臣秀吉に恩を感じた上松浦(かみまつら)の波多親(はたちかし)は、秀吉が名護屋城を鎮西町に築くときに協力しました。しかし、文禄・慶長の役(1592~98年)では、下松浦(しもまつら)の平戸松浦氏は大名として認められ、一軍をひきいて出兵したのに対し、親は龍造寺氏の重臣であった鍋島直茂の配下として出兵を命じられ、大名と認められなかったことが不満でした。そのため波多親は、出兵も直茂とともにせず、出兵後も直茂とともに行動せず、慶尚道(キョンサンド)の熊川(ヴンチョン)にとどまって軍を動かしませんでした。これが秀吉の逆鱗(げきりん)にふれます。文禄2年(1593年)、波多親は臆病者として敗戦の責任を問われ、筑波山麓(つくばさんろく)(茨城県)へ流され、その領地を没収されました。これは、明(みん)からの援軍や朝鮮半島の民衆たちの強い抵抗によって、日本軍の形勢が不利になっていたので見せしめの意味がありました。こうして上松浦の松浦党、波多氏は滅びました。波多氏の非業の最後を悼んだ人びとによって波多氏の伝説は語りつがれ、旧唐津郷(きゅうからつごう)に岸岳末孫(きしだけばっそん)の崇(たた)りの伝説を、現代に残しています。
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ううむ、やっぱり近寄らない方が身のためかもしれないな。

comment

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チャーシューいまそうだったのにねぇw味はいまいちでしたかwwサキイカキムチは旨そうね。

「オーラの泉」を見てると江原氏に感化されるとかされないとか・・・


裂きイカキムチはまじでお勧め。食べだすと止まらないわw

この前初めてオーラの泉を見てみたよ!別に感化はされなかったなぁw
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